お話 細谷 修(開導寺住職)/2024年10月10日
数年前、60半ばで亡くなられた知り合いのご婦人の会葬に行きました。帰りに旧友に車で送ってもらいましたら、帰り路、その旧友が盛んに「死んだら終わりだよな」、「死んだら終わりだよな」と三回ほど言っており、僧侶の私に同調を求めているようでした。そしてまた、僧侶のあなただったらどう思う?と問いかけられました。宗教評論家の小谷みどり氏でも、「人間は死んだらゴミになる」と言っていたような気がしました。彼の質問にきちんと答えられなかった私は、突然の質問に仏教だったらどうこたえるかと問われているようでした。私も死んだらゴミになると思って居るかも知れないと思っていましたが、その時は、はっきりとは分かりませんでした。
後でよくよく考えてみると彼の質問は、死んだら終わりだから、生きている間は好きなことをして、楽しく生きましょう、と言っているようでした。欲望の充足こそ生きている価値だと思っている彼に何もはっきりと応えられなかった自分が恥ずかったです。
今から10年以上前にの2011年、真宗大谷派では親鸞聖人の750年の御遠忌がありました。わたしは、親鸞聖人が生きていた平安時代末から鎌倉時代にかけておよそ800年昔、私にはどれほどのご先祖様がいらしてくれたか数えたことがありました。25歳で結婚し、次の世代を設けるとしますと両親を2、4、8、16、32、64、128と倍々していきますと、100年で4世代、800年ですと32世代、切りの良い30代までで見てみると、10代前で1024人、20代前で104万8576人、30代前ですと実に驚くことなかれ、10億7374万1824人となり、今の日本の人口の八倍になります。それらの親様、ご先祖様が戦乱や飢饉や感染症に罹らず私にまでいのちを伝えてくれた方として気付き、感謝する方が大切ではないかと気付いたのでした。
また人類誕生のアフリカでは、アフリカの東部が数千年前から分裂しかかっているようでした。700万年前、ジャングルで生活していたチンパンジーが気候が変わってきて、ジャングルが草原に変わっていって、「木」に登ってライオンや豹に注意していたチンパンジーが、草丈の高い草は見通しが悪く、立ち上がって直立二足歩行をし始めました。その時が人類の発祥の時期だといいます。人類発祥から700万年、もうご先祖の数は、一般の計算機では数えられなくなっています。私の想像では、ガンジス川の砂の数ほどのご先祖がいらしてくれたのでしょう。無量大数ということでしょう。
また、人間の受精を考えてみますと、およそ一回に射精される精子の数は1億個だそうです。その精子の元気のいい精子が卵管を上り排卵された卵子と受精するそうです。そのうち元気のよい精子は卵子の幕を破るのに労力を使い切り、後から来た5、6番目の精子が受精するそうです。精子が一つ違えば、違う人格の姉や弟になっているということを考えるともうこれは稀有ないのち、あることが難いいのちを頂いているとは言えないでしょうか。
そういうあることが難い、稀有ないのちを頂いているという事に気づき感謝することが大切だと思います。
私たちは稀有ないのちを頂いているのです。
これで私のリレー法話を終わります。ご清聴ありがとうございました。